オタク講義のこと

1ヶ月振りの更新です。
これ以上放置すると書かなくなってしまうので更新。

今月は高速道路でタイヤがバーストしたり、学会発表したり、所属してない学会を覗いてみたり、オタクをテーマにした集中講義に潜ってみたりと、そこそこ充実した日々を送っておりました。

で、そのオタク講義の話。覚書混じりの感想など。
ネットでもちょっとだけ話題になったからか、300人超の出席者数でした。

2日連続講義のうち、初日はオタク論概説といったところ。
東浩紀森川嘉一郎、そしてちょっとだけ斎藤環をなぞる感じでした(一応、岡田・大塚にも言及あり)。
基本的には「読みゃわかる」ような部分のみ。

個人的には斎藤や大澤真幸のようなラカン派オタク論者の説明をして欲しかった。
彼らの提出する結論そのものからは何かしら腑に落ちるものを感じるのですが、その導出過程をちゃんと理解しないことには自分が使えないからなぁ。そもそも中間項すっ飛ばして結論に納得している時点で、私の理解に齟齬ありまくりな気がしますし。

さて、講義中、東のデータベース消費に用いられた例がこちら。

講堂は拍手喝采
うぅむ、私もいつぞやの学内発表で全く同じ事例を出したのに、こちらは嫌悪感しか受け取れなかったぞ。

この作品には主人公の妹が12人登場します。で、それぞれは「妹」という基本属性を備えており、そこへ更に付帯的な属性を与えることで特徴付けを施しています。そうした属性に合わせて、登場する妹達は主人公を様々に呼称する(e.g. 「お兄ちゃん」「兄君」「兄ぃ」etc...)わけですが、今回この講師の凄いところは、12人中11人の呼称を即座に黒板に書き綴ったこと。
数分後、会場から「お兄たま!」という声が上がり、見事12人コンプリート。またもや拍手がわき起こりました。素敵な講義です。
講師が「『兄者』って呼ぶ妹がいないから、これで『くのいち』キャラを追加出来るなって思ったんですよ」という発言をすると、会場からは同意の声。データベース消費の例としては適切ですが、客観視すれば駄目〜なオタク会議が催されているようにしか聞こえません。自分のことを棚に上げれば、それこそ深夜のファミレスで繰り広げられるような代物。オタクは看過できない文化現象だと信じてはいますが、扱い方を誤ると本当に目も当てられない与太話に(あるいはオタ話に)しかならないことが改めて実感されます。

2日目は各論で、「マンガ表現論」、「女装少年」、「現代美術×2」を講じる。
現代美術は全くの門外漢なので何とも言いませんが、前二者はいかにも体系立ってない話を聞かされた印象。講師に責任があると言うよりは、研究の大前提である先行研究への目配りがこれまでいかになされていなかったかを感じるところです。特に「マンガ表現論」。
マンガ研究の先行研究なんて、それこそ代表的なところ20冊程度+BSマンガ夜話で済みそうなものですから、その上で議論を積み重ねてもらいたいものです。サントリー学芸賞ではマンガ絡みの本が「芸術・文化」と「社会・風俗」の両部門から出ていますが、両者共に、狭い意味ではアカデミズムの著作ではありませんしねぇ。別に両著作を貶めるつもりはありませんよ。アフィリエイトだって出しちゃいます。

戦後まんがの表現空間―記号的身体の呪縛

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手塚治虫=ストーリーマンガの起源 (講談社選書メチエ)

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総じますと、主な参考文献の既読者にとっては、概説ということもあり新しい知見を得ることは出来ない講義だと思いました。復習がてらニコニコと笑いながら聞く分には、あるいは単位稼ぎの学部生には良かったのではないでしょうか? 大学でオタク講義をすることは功罪両側面あるでしょうが、この内容では時期尚早という印象です。
さて、他人様の講義を批評する前に、自分の研究のブレイク・スルーを見つけなきゃいけませんね。現段階で放り投げるのはいかにも無責任ですし。