さて、何をしようか

大学院生なので、学会発表前はそれを目標にすれば良いけれど、終わるとちょっとした自分探し気分になります。要は次回に向けてのテーマやネタ探しなのですが……。大抵、しばらくはToDoリストから細々とした作業を取り出して処理したり、「これぐらいは読んでおきたいよな」といった古典に属する本を漫然と読んで過ごしてしまいます。こういう時間のある時に、もっと大局を見据えた勉強をしたいとは思うのですが、考えてみると、大局を見据えることが出来ていたら私は大学院に所属してませんね。

それはそれとして、撮り溜めしておいたアニメを視聴。秋の番組改編期なので最終回もちらほら。今年の話題作とも言える「コードギアス」と「らき☆すた」を最後まで観ました。
コードギアス」と言えば、先の関東社会学会テーマ部会(「現代の保守―何が新しいのか?」)にて大澤真幸が取り上げていたことを思い出します。もちろんナショナリズムの文脈なのですが、「アニメの話とかをすると、わかる人はとても細部までわかるけど、わからない人は全然イメージが湧かないから困るんですよね」とか言ってました(実際、報告者として並んでいた北田暁大上野千鶴子両氏は首を傾げていた)。
ガンダムSEED」のテーマを黙示に絡めて論ずるより、「コードギアス」や次期開始の「ガンダム00」でナショナリズムを論じた方が真っ当かな。ブログで書き殴るならともかく、アニメ批評がそのまま学会発表になるとはとても思えないけれど。

そして、作品テーマで語ることの難しい「らき☆すた」。微妙なネタをオタク受けするキャラに演じさせるだけという、いわゆる「萌え4コマ」をアニメ化したものであるだけに、作品世界だけで完結しない/させない実験的アニメだったように思えた。他作品のパロディはもちろん、「ニコニコ動画」などを意識しながら、視聴者が踊れるように作られたOP、OPのリミックスを制作・販売、もはやMAD動画としか思えない2クール以降のED。他にも、作中の台詞で「うちの神社がTVに取り上げられた」、(絵馬を観て)「こなたは俺の嫁って書いてある」(フジ系列のニュースで「らき☆すた」の舞台になっている鷲宮神社にオタクが殺到していると報道され、その神社の絵馬には先の台詞などが多く書込まれている)など、現実と作品が融解したオタク向け商品ここに極まれりといった感じ。「アニメにだって観るべき作品はある」とは思いますが、アニメやニコ動の視聴が生活の一部になっている人以外は「らき☆すた」を観ても駄作認定なんだろうなとか思ってみた。

大澤真幸は「アイロニカルな没入」ってなキーワードで、オウムもオタクも昨今のナショナリズムも語っております。ちょっとうろ覚えですが、学会報告では、「今日は多元性が自明の前提になっているからアイロニカルな形でしか物事にコミットできない」けれど「アイロニーの含まれないただの没入となってしまっている人の存在」の指摘をしていました。で、そういう人って何だか不気味というか、気持ちが悪いというか、異質な感じ。
オタクで言えば、痛車を容認するかどうかが分水嶺なのかな?
私は、自分の趣味に引け目を感じている部分がオタクには必要だと思っているので、必要以上の自己アピールや市民権の獲得はすべきでないんじゃないかと。ローゼン閣下こと麻生氏は、その辺りどう思っているのでしょうか。

朝起きて「何をしようか」と考えたものの、したことがブログの更新という、幸せなような不幸のような秋晴れの夜明けでした。